【特別企画】スペシャルインタビュー「あの有名人が語る!」(第21回)

落語家・柳家小せん × 「空気を読む力」= ?

posted by 秋山 由香

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 5代目、柳家小せん(やなぎやこせん)。2010年に真打(最高位の身分)へと昇進し、柳家小さん一門の由緒ある名跡(みょうせき:一門で伝統的に継承されてきた芸名)である「小せん」を引き継いだ実力派の落語家だ。飄々としていて涼しげな、ふわりとした語り口が持ち味で、軽やかながら、聞き手の心に残る落語を届け続けている。

 大学3年で就職について考えるようになるまで、「一度も噺家(はなしか)になろうと思ったことはなかった」と語る小せん氏が、なぜ突然、落語の世界に飛び込もうと決意したのか。落語との出会いや思い、落語界独特の師弟関係などについて幅広く話を聞き、「噺家」という厳しい世界で得てきた数々の経験から、シビアな『職人世界』を生き抜くためのヒントを紐解いた。

グッと掴まれて吸い込まれる、鮮烈な原体験

――落語との出会いについて教えてください。いつ、どんなきっかけで落語の世界に興味を持ったのでしょうか。

 落語に出会ったのは小学生のときでした。たまたま落語を扱った本を読み、なんとなく興味を持って、テレビの演芸番組やラジオを聞き出したのがハマり始めたきっかけ。何本か見ているうちに、頭ではなく心の奥のほうから「これは面白い! すげぇ世界だ!」という感動が湧き上がってきて、気が付いたら、テレビ・ラジオは欠かさずチェックし、親にせがんで寄席に連れていってもらうという“落語少年”になっていました。

 もっとも印象に残っているのが、落語に出会ってすぐの頃に見た、桂米朝(かつらべいちょう)師匠の「天狗裁き」という演目です。とある長屋に住む夫婦がひょんなことから「いまさっき見ていた夢の内容を教えろ」「いや、夢など見ていない」と口論を始め、そこに続々と長屋の住人が入ってきて大騒動に発展するというあらすじで、とにかくコロコロと場面が移り変わっていくんですよね。

 噺が始まってすぐに、グッと掴まれてスッと吸い込まれるような、なんとも言えない感覚に陥りました。まるで自分がその長屋にいるかのような、世界のなかに入り込んでしまったかのような……。次々と変わるシーン、入れ替わる人々を、まさにそこで見ているような錯覚に捕らわれました。

 それがいわゆるオチのところで、一気にボンッ!と解き放たれる。「なんだったんだ、これは……」「うわぁ、面白れぇ!」、そして「ああ、ただ面白いだけじゃない、落語ってすげぇんだ!!」と思わされ、それですっかり落語の虜になってしまいました。このときの鮮烈な原体験がなかったら、落語を生涯かける仕事にしようとは思わなかったかもしれませんね。

――すげぇんだ!!と思った小学生の頃から、落語家になりたいと考えていらっしゃったのですか?

 いえ、まったく思っていませんでした。ハマり始めてから10年間、ほぼ毎月、少ないお小遣いを握りしめて横浜から都内の寄席に通い詰めていましたが、自分で「やりたい」と考えたことは一度もありませんでしたね。

 落語家を仕事にしようと思ったのは、大学3年生のときです。就職活動の前に「オレはなにになればいいんだろう」と考えたら、なぜか魔がさして「落語家になろう」と思ってしまったんです(笑)。一度きりの人生、どうせなら好きなことに没頭したい、これだけ好きなのだから生涯を賭けてみてもいいのではないか、そう思っての挑戦でした。ただただ好きだった、それだけの理由で、見る側から演じる側へといきなりスイッチしてしまったというわけです。

――落語にハマったきっかけが純粋な感動や衝撃なら、落語家になろうと思った理由は好きという気持ちだけ。理屈や計算ではなく、心から湧き上がる自然な感情が、仕事の原点になっているのでしょうか。

 そうかもしれません。いまでも、テクニックを追求するのではなく、なによりも「面白い」「好き」という純粋な気持ちを大切にしたいと思い続けています。「うまい落語より、面白い落語を」、それが私の目標です。

落語家の師匠は生殺与奪の権利を握る「超重要人物」


――落語家になるために鈴々舎馬桜(れいれいしゃばおう)師匠のもとに弟子入り(見習いとして師匠の元で修行をする時期)してから、すぐに楽屋入り(新人落語家の前座としてデビューすること)を果たしたと聞きました。高座(落語の舞台)デビューである楽屋入りのときのことを教えてください。

 最初はなにがなんだかわかりませんでした(笑)。実は私、落語協会の「同じ立場の仲間がいたほうが厳しい落語の世界を生き抜く上でプラスになる。通常より見習い期間を短くしても、少しだけ先輩である噺家と一緒に同期として楽屋入りさせてしまおう」という計らいで、かなり早い段階で楽屋入りをさせてもらったんですよね。たまたま4月1日に楽屋入りする見習いが数名いるから、一緒に入ってみてはどうかと。それもあって見習い期間が短くなり、初高座の時は覚えた一席をやるだけで精一杯でした。あまりに必死で「憧れの高座に上がることができた!」みたいな感慨もなかったなあ。

 ただ、たまたま「一緒に」という偶然で4月1日に楽屋入りしたことで、2人の落語家と同期になれたというのは、私にとってはものすごくラッキーだったと断言できます。

 同期のひとりは蜃気楼龍玉(しんきろうりゅうぎょく)という、古典落語をしっかりやって評価されている人物。名人と呼ばれるであろう道を着々と歩んでいます。もうひとりは三遊亭鬼丸(さんゆうていおにまる)という、ラジオで有名な人物。ラジオで昼の帯番組を担当しており、北関東で知らない人はいないと言っていいぐらいの売れっ子です。方向性のまったく異なる、素晴らしく力のあるふたりと前座で同期になり、ときにはケンカをし、ときには愚痴を言いながら飲み明かし、苦楽をともにしてきました。いまでも年に5回程度、一緒に落語会(常設の演芸場とは違い、ホールや会館などで行われる単独公演のこと)を行っているんですよ。同期だからこそ意見を戦わせたり、相手にダメ出ししたりすることができる。落語という特殊な世界を生き抜く上で、とても大きな支えになっています。

――同期との切磋琢磨を経て、現在は弟子を取る真打ちという立場になりました。落語家の師弟関係についてはいかがでしょう? 一般の企業でいうところの、上司と部下のような関係になるのでしょうか?

 もっと濃い関係だと思います。よく親子のようなものだと言われますが、落語家にとっての師匠は、親であり、直属の上司であり、人事部長であり、社長でもあるような、「絶対に逆らえない存在」。生殺与奪の権利をすべて握っている超重要人物です。

 「落語の師匠」というと厳しいイメージを持たれがちですが、企業に厳しい上司と優しい上司がいるように、落語界にも厳しい師匠と優しい師匠が存在します。ただ、私は、厳しい師匠のほうが誠実で、結果的にやさしいように感じますね。厳しい師匠は、なんとしてでも弟子を一人前にしようという、強い意志を持って指導に当たっています。甘やかさずに育てることで、10年後、20年後に、ひとりで生きていくための力が付けさせようと思っている。中途半端なやさしさを見せて弟子をダメにしてしまう師匠より、思いやりがありますよね。

――確かに。しかし、最近の若者は怒られ慣れていないという話もよく耳にします。厳しくされるとすぐ辞めてしまったり、ひどい場合は逆恨みに発展することも少なくないとか。落語界の場合はどうなのでしょう? いまでも厳しい師匠が圧倒的に多い、職人的な世界なのでしょうか。

 今は少ないですね。昔は確かに厳しい師匠が多かったんですが、やはり時代の流れには逆らえないと言いますか、致し方ないと言いますか……。昔に比べると、全体的に甘くなっているような気はしますね。いい悪いは別として、そのおかげで前座が辞めなくなりました。

――小せん氏は、どのように若い弟子と向き合っていますか?

 さきほどもお話した通り、厳しさはやさしさだと考えています。が、いまの若い人たちには、それがなかなか伝わりにくい。ですから私は、理詰めで物事を教えるように意識しています。ただ怒るとか小言を言うとかでなく、できるだけ冷静に、ダメな理由をきちんと説明し、順を追って理解させる。そうすると彼らも納得してくれ、少しずつですが行動が変わっていくのです。焦らずに長い目で弟子を育てることも、いまの時代には必要なことなのでしょうね。

「空気を読み、掴み、動かす力」が、現場の色を一変させる!

――若手時代に身に付けた力でもっとも役立っているのは、どのような力でしょうか。

 空気を読む力、掴む力、動かす力、でしょうか。これらの力は、楽屋のなかでの気働き(その場に応じた機転を効かせた働きをすること)で培われたものと思っています。師匠や先輩たちの性格や好みを把握し、気を遣うべきところ・遣わなくていいところを知り、自分の役割を見極め、行動する。こういうことをくり返すうちに、いろいろなタイプの人をふわっとまとめて、いいあんばいで仕事を動かすことができるようになってきました。

 これ、高座でも役に立つんですよね。お客さんの空気をざっくり読んで、ネタ・言葉・間・テンポなどを変え、ガッと心を掴んで、場の色を変える。先代の小せん師匠はその辺りが本当にうまく、いつも軽やかで、鮮やかな方でした。誰がなにをやっても受けないような重い空気のときでも、いつもと同じようにふわ~っとやってきて、グッと惹きつけて、ポンっとまとめてしまう。気が付いたらみんな笑っていて、「どういう魔法なんだろう、これは」ということがしょっちゅうありました。

 先代の小せん師匠は大正生まれ。戦争に行き帰ってきたあと、混沌とした空気のなかで落語に向き合ってきたと聞いています。きっといろんな現場で苦労をし、途方もない気働きを積み重ねてきたのでしょう。だからこそ、すごいのにすごさを感じさせない、独特の存在でいられたのだと思います。

 場の色を変える力を身につけるには、手を抜かずに誠実に人と向き合い、さまざまな現場でつぶさに気働きを実践するしかありません。伝統ある落語の世界は、数々の偉大な先輩方が努力の末に作り上げた、いわば老舗の企業のようなもの。その歴史を汚さず、守り、厳しい『職人世界』を生き抜いて行くために――。私自身、今でも生涯をかけて、じわじわと、空気を読む力を磨いていき、やがては「場の色を一変させる力」を身に付けなければならないと思っています。

後編へ続く>

インタビュー:秋山 由香

柳家 小せん(やなぎや こせん)
本名:河野 重信(こうの しげのぶ)。1974年、神奈川県横浜市生まれ。1997年、鈴々舎 馬桜に入門し、前座名「鈴々舎 わか馬(れいれいしゃ わかば)」で落語家デビュー。2000年、二ツ目に昇進。2002年、北とぴあ若手演芸大賞受賞。2006年、鈴々舎 馬風(れいれいしゃばふう)門下に移門。2010年、真打に昇進し「五代目・柳家 小せん」を襲名。一般社団法人 落語協会に所属し、鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホールなどの寄席に出演。

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