2016.2.1 (Mon)

キーマンズボイス(第17回)

株式会社カカクコム 代表取締役社長 田中 実 氏

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日本のインターネットの黎明期にあたる1997年に創業した株式会社カカクコム。
同社が手掛ける購買支援サイト「価格.com」(月間利用者数約4,966万人/2014年3月末現在)と、グルメ口コミサイト「食べログ」(月間利用者数約5,748万人/2014年3月末現在)は、いまでは消費者の生活インフラとして欠かせない存在に成長した。
3代目にあたる田中実社長に、企業を成長させ続ける秘訣について伺った。

株式会社カカクコム 代表取締役社長
田中 実(たなか・みのる)


プロフィール
1962年兵庫県神戸市出身。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。
1986年(株)三菱銀行(現(株)三菱東京UFJ銀行)入行。ヒューストン支店コーポレートファイナンスVP、台北支店日系課長、本部勤務を経験。
2001年(株)デジタルガレージ入社。2002年(株)カカクコム取締役に就任。取締役CFO、取締役副社長を経て2006年6月代表取締役社長に就任。
母方の実家は400年続くお寺。中学から大学まではバトミントンに明け暮れるスポーツ青年だった。
趣味は犬の散歩と車。犬は柴犬、車はマニュアル車というこだわりがある。阪神タイガースの大ファン。

銀行員から未知のITビジネスへ。カカクコムを上場させたいきさつ

――はじめに、銀行マンからITビジネスの世界へ転身をされた理由をお聞かせください

img_2当初勤めた銀行には1986年から2001年まで15年間お世話になりました。もともと海外勤務希望でアメリカと台湾に赴任したのですが、2000年に日本に帰されたとき、どうやらこの先、海外勤務は難しそうだと思いました。
それではこの先面白くないな、辞めようかなと、本店の廊下をトボトボ歩いていたら、中学・高校の先輩にばったり会いまして、事情を話したところ、「じゃあ、こういうところで人を探しているから会ってきたら」と紹介してくれたんです。
それで会いに行ったら「すぐに来い」という話になりました。そこがデジタルガレージでした。
銀行員だったら、お金を貸すときに財務諸表をチェックして会社の良し悪しを判断しますが、デジタルガレージの財務諸表は一切見なかったですね。これしか僕にはチャンスがないんだから、分析しても無駄だと思っていました。
ご縁があったところに自分から主体的に行くというのが、成功するにしても、失敗するにしても、まだしも納得できるだろうと考えたのです。

――2001年にデジタルガレージ入社後、2002年にカカクコム取締役に就任しています。これは、2003年のカカクコムのマザーズ上場をにらんでのことだったのですか?

僕がデジタルガレージに在籍していた8カ月、カカクコムを買収する際のデジタルガレージ側の担当者をしていました。
8億円弱を入れて45%の株式を取得し、カカクコムを子会社にすることが決まったとき、「8億円というお金はデジタルガレージにとって非常に大きなお金だ。お前がカカクコムに転籍して、戻らない覚悟でしっかり会社を成長させてこい」と。結局、片道切符でカカクコムに行くことになりました。
当時のカカクコムの社長は、2代目の穐田誉輝社長(現クックパッド株式会社社長)で、僕は財務担当として彼をサポートし、カカクコムを上場させたというのが当時のストーリーです。

銀行とは異文化のカカクコム、そして迎えた転機とは!?

――カカクコムを「こういう会社に育てたい」という目標はありましたか?

入った当初は、正直そんな気持ちはなかったです。浅草橋にある、総武線の線路沿いの小さなオフィスで、20人くらいいた社員はほとんどがアキバおたくみたいな感じでした。僕が最初にもらったパソコンも、社員が自作したノーブランドのパソコンでしたし、これはエライところに入っちゃったな、と思いました。
第一、言葉から違います。 IT業界で「デフォルト」といえば「規定値、初期値」という意味ですが、銀行だと「債務不履行」ですから。みんなが「デフォルト、デフォルト」というので、「なんだ、これは」と驚きましたね。何を言っているのかわからないけど、恥ずかしくて聞けませんでした。
ただ、半年くらいすると慣れて、この会社で働くことができるのは嬉しいなと思うようになりました。
たとえば車にしても電化製品にしても、マーケットの需要を読んで仮説を立て、大掛かりな投資をして商品開発をしていくものですが、インターネットはサーバが一台あれば、少人数でも簡単にサービスが作れてしまいます。ダイナミックなことが低コストででき、銀行とは全く違うスピード感に魅力を感じるようになりました。

――田中社長が考えるターニングポイントは、どこにありましたか?

やはり、2005年3月の「食べログ」のサービス開始ですね。社員2人、サーバ1台で始まりましたが、そのサーバも「価格.com」で使い切って償却が終わったもので、まさにコストゼロでした。
「食べログ」を発案した村上敦浩君は、現在カカクコムの取締役になっていますが、彼が転職してきたばかりのとき、「『価格.com』のなかでグルメをやると、“価格”に特化したB級グルメのイメージになってしまうからイヤだ。『価格.com』ではなく別ブランドを立ち上げたい」と言ったんです。そのことは、これまで「価格.com」だけを運営してきた社員にとってはかなりの衝撃でした。
しかし一方で、カカクコムが自らはまっていた“価格の比較”という枠を取っ払い、違うドメインや違うブランドに自由に行ってもいいと、社員が目覚めるきっかけにもなりました。これは非常に大きな意味を持ち、今日の「映画.com」や「フォートラベル」などにつながっています。

ITの普及とともに成長してきたカカクコム。今後はどう勝負する!?

――御社のサービスの特徴や強みについてお聞かせください

ひとことで言えば「ユーザー本位のサービスを作り続けること」です。
買い物サイトでもレストラン検索サイトでも、事業者側が主体になっているサービスは数多くあります。口コミを前面に出す、ものを安い順に並べてしまう、などということは、消費者からするとありがたいことですが、事業者側からするとたまらない話で、当然軋轢もあります。
しかし、そこがぶれるとカカクコムとしての存在意義がなくなってしまいます。消費者本位、ユーザー本位というのが、カカクコムの一番のエッジであり、生命線でもあるのです。

――ICT(IT)が御社に与えた影響とは?

かつては新聞、テレビ、雑誌などのメディアが一方向的に読者や視聴者に情報をお届けするというワンウェイのかたちでしたが、インターネットが導入されたことによって状況が全く変わりました。何かの商品やサービスに対し、消費者側からの反応がすごい勢いでインタラクティブ(双方向)につながるようになりました。この機能があるからこそ、当社の存在意義があります。
また、インターネットは、新しい会社を設立するときや、新しいサービスを提供するときのハードルを一気に下げました。「価格.com」も、資本金ゼロから、自宅の一室にて手作業でやっていたところから始まり、今日に至ります。

――御社の今後のビジョンについてお聞かせください

スマホ、タブレットなどの登場により、インターネットを使う環境が、屋内から外出先に広がりつつあります。その結果、エリアにひもづいた情報、たとえば飲食店だけでなく、学校や病院など、地図上にある施設の情報のニーズが高まっていると考えます。こうしたニーズに応えることが第一です。
第二に、ユーザーのジェネレーションを若い方にも高齢者の方にも広げることです。現在カカクコムが手掛けるサイトの利用者の中心は、30~50代の可処分所得が多い層。反対に10~20代のシェアは少なく、多分、ゲーム系のコンテンツを配信されている会社さんとは正反対の構成になっていると思います。今後は、たとえばティーンエイジャー向けであれば進学塾の口コミや、あるいは高齢者向けに介護施設の口コミなどの情報サイトを立ち上げるなどして、より幅広い年齢層のユーザーに使ってもらえるサービスを考えていきたいです。
また、女性ユーザーを増やすことも課題です。「食べログ」は男女比がほぼ半々ですが、他のサイトでは男性ユーザーの比率が高いので、たとえば結婚式関係のサービスを作るなどすれば、女性ユーザーの割合も増えていくのではないかと思います。

企業も人も「待つ」ことで成長させる

――田中流・企業と人の育て方についてお聞かせください

経営陣が少しずつ若返りながら、長い時間をかけてじっくり会社を育てていくのが理想です。先代の穐田社長の「じりじりと株価が上がっていくというのが一番きれいなチャート。そうして作られた価値は下がりにくい。逆に一気に上がったものは、一気に下がることもある」という言葉は、まさに正しかったなと思います。人も同じです。促成栽培はひずみやゆがみが出てくるので、じっくり育てることが大事だと思います。
今の時代とは逆行しているようですが、スピード感だけを求めすぎるのは危険なのではないでしょうか。
「価格.com」や「食べログ」が支持されているのは、それぞれのサービスを磨き込んでいる社員のおかげです。その社員たちが、辞めずに成長してもらうためには、ときには待つことも必要なのです。

母方の実家は400年続いている浄土宗のお寺です。お寺が潰れたら、お葬式でお経を唱えてくれる人がいなくなってしまうから、檀家さんが困ってしまいます。だから、お寺はなにより潰さないことが重要です。
そういう感覚が、僕の経営観にも影響しているかもしれません。 自分は3代目の社長で、今の最大のミッションは4代目を育成することにあります。代々バトンを渡して、未来永劫、存在し続けることが自分の中の美学です。
一代でビッグになることにあまり興味はないですね。連綿と続いて、いつか「老舗」と呼ばれるブランドになってほしいと思います。

――では、次の社長にバトンを渡すタイミングは?

年齢とともに体力が落ちてくる一方、経験値やスキルは上がってきます。これを足し上げたものが、社長の資質として一定のレベルを超えていれば社長を続けていてもよいが、超えなくなったときが引き際です。
もうひとつ、自分自身でもこの会社の株を0.数パーセント持っていますが、自分よりもこの人の方が株価を上げてくれるんじゃないかと思ったときです。「俺が辞めた方が俺がトクなんだ」と、けっこう冷静に計算しています。元銀行員ですから。
友人、知人の言葉もきっかけになるかもしれません。「お前もう辞めたほうがいいよ」と言ってくれる人がいい人だと思います。「まだ続けられるよ」なんて、耳に優しいけれど、実際は無責任な言葉です。こうしてみると、社長ってプロのアスリートのようですね。

“そこそこ頑張る経営”が企業を存続させる秘訣!?

――最後に他の経営者の方々へメッセージをお願いします

自分に対しても、クライアントに対しても、社員に対しても、いい意味で“肩の力を抜いた経営”が、長く続く秘訣ではないかと考えています。
社員に慶事があったときには、僕が一人一人の社員にお祝い封筒を渡すことにしています。結婚したら、子どもが生まれたら、その分責任が重くなる。だから自分の健康がまず大事です。
社長の僕が言うのもなんですが「頑張りすぎず、そこそこ頑張ってくれ」という言葉をはなむけに贈っています。 「そこそこ頑張るってどれくらい頑張ればいいんですか?」なんてキョトンとする社員もいますが、「体を壊したり、子どもの寝顔しか見られない状態は、そこそこではないよ」と説明します。
これは社員だけでなく、経営者も同じではないでしょうか。

――ありがとうございました

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