2017.10.17 (Tue)

「釜めし」最前線!(第1回)

温かい!で駅弁の常識を変えた荻野屋「峠の釜めし」

posted by 松田 謙太郎

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 電車を使った出張や旅行の際、地域色が豊かな駅弁は楽しみの1つです。本記事では、駅弁の中でも見た目だけでなく味の違いが明確な「釜めし」にフォーカスを当て、日本各地を巡ってみたいと思います。今回取り上げるのは、群馬県安中市にある荻野屋の「峠の釜めし」です。

釜めしが「冷たい駅弁」の常識を覆した

 駅弁は冷めた状態でもおいしく食べられることを前提にした商品です。そんな“冷めても”という前提を覆したのが、JR信越本線・横川駅(群馬県)で、荻野屋が発売した「峠の釜めし」でした。

 今から約60年前の1958年に峠の釜めしは誕生しました。しかし、実はその誕生の裏側には苦難がありました。当時の日本は高度経済成長期にあり、電車に乗る旅行客も増えていました。ところが、販売される駅弁はどこも同じようなものだったため、旅行客に飽きられていたのです。

 荻野屋がある信越本線横川駅は碓井峠の手前にあり、峠の急勾配を越えるために、電気機関車を連結してけん引させていました。その連結作業のため長時間駅に停車するという、駅弁を販売するには非常に良い条件の駅でした。しかし、それにもかかわらず荻野屋の業績は低迷しており、どうしたものかと悩んでいたのです。

 荻野屋の先代会長は「温かい駅弁が食べたい」「家庭的な楽しいお弁当が食べたい」というお客さまから直接聞き集めた要望と、当時土瓶で売っていたお茶や「中山道を超えるときに土器でご飯を炊いた」という和歌にヒントを得て、保温性のある陶器(益子焼)の器に入った釜めし弁当を誕生させたのです。

 駅弁と一緒に買う土瓶のお茶は1人用だったことから、釜めしの釜も1人用陶器にできないかと考え、地元の益子焼職人に相談して専用の釜を完成させます。

 この専用陶器に入った“温かい”峠の釜めしは、画期的な駅弁として雑誌などで取り上げられ、爆発的な売れ行きとなりました。

東京駅で「峠の釜めし」を買って食べてみた!

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松田 謙太郎

松田 謙太郎

1979年、長野県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了後、経済団体に就職。検定試験の企画・運営、中小企業のコンサルティング、経営相談・融資に留まらず、経済法規、経済政策、税制などの要望書の作成業務を行う。その後、独立開業しフリーライター業と講師業を始める。旧姓・松本謙太郎名義の記事多数。

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