2017.7.27 (Thu)

地方振興の事例から、ビジネスのヒントを学ぶ(第5回)

被災したケミカルシューズ業界、復興の鍵は意識改革

posted by 津山 角雄/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

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 1995年に兵庫県を中心に発生した阪神・淡路大震災は、死者が約6,500人、住宅被害が約64万棟という未曾有の大災害でした。阪神・淡路大震災によって、兵庫県下の産業は壊滅的被害を受けます。被害を受けた産業の1つが、神戸市長田区の地場産業で合成皮革製の靴を製造するケミカルシューズ産業です。

 震災から22年が過ぎましたが、大きな被害を受けたにも関わらずケミカルシューズ産業が廃れなかったのは、同業界の共同組合である日本ケミカルシューズ工業組合の活動があったからです。

阪神・淡路大震災でケミカルシューズ産業は

 神戸市長田地区のケミカルシューズ産業は、1909(明治42)年に、イギリスのダンロップ社のゴム工場を誘致したことに端を発します。以後、神戸市にはゴム工場が多数建設されるようになり、ゴム産業が盛んになります。1910年代後半なるとゴム靴が誕生。当時の靴の中では画期的な防水性から大ヒット商品になりました。そのゴム靴工場が神戸市長田区に集中し、地域産業を形成します。第二次世界大戦後は、材料をゴムから合成皮革に変えたケミカルシューズへと発展しました。

 ゴム靴、ケミカルシューズともに原材料は生ゴムや石油などです。どちらも輸入頼みで、国際情勢や為替などに翻弄されます。産業構造は、製品改良を行なっても人件費の安い国々がすぐに大量コピーしてしまい、収益改善がままならないという悪循環にありました。それらによってケミカルシューズ産業は幾度となく苦境に立たされましたが、そのたびにケミカルシューズ業界は共同組合を団結して、危機を乗り越えてきたのです。

 その危機の中でも最大級と呼ばれたものが、阪神・淡路大震災でした。長田区にある日本ケミカルシューズ工業組合加盟192社のうち、158社が社屋や工場の全半壊・全半焼を被ります。さらに、関連企業約1,600社のうち約80%が全半壊または全半焼となりました。被害総額は3,000億円に及びます。

復興に必要だったのは、企業の意識改革だった

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津山 角雄/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

津山 角雄/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

三重県の山間地から様々な情報を発信するマルチなライター。2005年から7年間、農業をしながらエッセイを寄稿(雑誌「地上」(家の光協会 刊))。現在はWEBメディアを中心に、パソコン関連、住宅関連など数多くのテーマを手がける。また、地元の地域ボランティアに20年在籍し、リーダーも努めている。

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