2016.11.25 (Fri)

子供たちが熱狂! 懐かしのヒット商品の裏側(第2回)

「インベーダーゲーム」が作り出した”100円”の文化

posted by 味志 和彦

このエントリーをはてなブックマークに追加
Evernoteに保存
印刷

 1978年(昭和53年)に発売され、日本中に大ブームを巻き起こした「インベーダーゲーム」。単なるヒットゲームではなく、昭和の文化史では必ず取り上げられるほどの社会的影響力がありました。

 このゲームの人気により、日銀関係者が硬貨の流通量に右往左往し、さらに街中の風景に「ゲームセンター」が定着し、それまでマイナーなビジネスであったゲーム産業が社会的に認知されるきっかけにもなりました。

なぜインベーダーゲームはそこまで人々の心をつかんだのか、大ヒットに至った要因を探ります。

ゲーム機がレジャー施設の定番になるまで

 インベーダーゲームが生まれた背景には、アメリカでのゲーム人気がありました。アメリカでは1962年に、マサチューセッツ工科大学の学生によって「スペースウォー(二機の宇宙船が互いに光線銃で撃ち合って競うプログラム)」という原始的なコンピューターゲームが開発され、それが人気となり、アメリカ各地に広まっていました。

 その頃、大学で電子工学を学んでいたノーラン・ブッシュネル氏(後に世界初のゲーム専門会社「アタリ」を創業)は、コンピューターゲームの面白さに着目。遊園地で働いていたブッシュネル氏は、レジャー施設でコンピューターゲームが遊べるようになれば、ビジネスにできると思いつきました。

 そこでブッシュネル氏は、コンピューターゲームを小型の筐体に収まるように改良。スペースウォーの「撃ち合うルール」をテニスゲームに変えたり、ボールでブロックを崩していく「ブロック崩し」に発展させました。結果的に両ソフトとも全米でヒットし、コンピューターゲームに統一がビジネスで成功した初のケースといわれています。これ以降コンピューターゲームに統一は、デパートの屋上や遊園地といった遊びのシーンで、人の目に触れるようになりました。

動かない敵を消すのも面白いが、動く敵を消すのはなお面白い

このエントリーをはてなブックマークに追加
Evernoteに保存
印刷
味志 和彦

味志 和彦

佐賀県生まれ。産業技術の研究者を経て雑誌記者など。現在コラムニスト、シナリオライター。

メルマガ登録


スペシャルインタビュー


成功企業の戦略


離島の廃校で学ぶ酒造りとまちづくり

ページトップへ