【特別企画】スペシャルインタビュー「あの有名人が語る!」(第18回)

東国原英夫の改革は、椅子を変えることから始まった

posted by 小池 晃臣

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 小学校の卒業文集にて、将来の夢にお笑い芸人と政治家を掲げていた東国原英夫氏は、大学卒業後にビートたけし氏の弟子となり、2007年には宮崎県知事に就任することで、2つの夢を本当に叶えてしまった。

 その顛末については前編で取り上げたが、知事となってからは、いかにも“お役所”といった組織を変えるために相当な苦労があったという。そして、2012年に国会議員になった後は、政治家としての使命と、組織のしがらみに頭を悩ませることになる。

 苦境の中で、東国原氏はどのような道を選んだのか。後編では彼の政治家としての顔に迫る。

四面楚歌の状況が、かえって有権者の好感を生む

──前編では、2007年の宮崎県知事選に勝利するまでの話を聞きました。下馬評では劣勢だった東国原さんが、選挙に勝った要因には何があったのでしょうか。

 メディアには「当確の可能性ゼロ」「泡沫候補」といったネガティブなことを報じられましたが、私自信は、最初から最後までまったく負ける気がしませんでした。なぜなら、政策と、それを県民に訴える演説では、他の候補者達には絶対に負けないという自信があったからです。

 「泡沫候補」ですから、最初のうちは有権者の反応も薄かったのですが、頭を低くして一件一件有権者のもとを訪ねて行き、手を振ってくれる人がいればすぐに選挙カーから降りて、走って会うといったことしているうちに、一週間ぐらいで風向きが変わりました。「なんかあいつ一生懸命で面白いぞ」とか、「凄い情熱を感じた」といった評判が広がっていって、次々と支持を得られるようになっていったのです。

――ライバル候補たちも、東国原さんの勢いに危機感を抱いたのではないでしょうか

 対立陣営は、最初は私に無関心でしたが、やがて裏でスキャンダルを流されるなど、足並みを揃えて妨害するようになってきました。

 だけど、私のスキャンダルなどいまさらなので、誰も興味など示しませんよ(笑)。むしろ四面楚歌の状況での一匹狼での選挙活動に県民の方々もだんだんと気付いてくれて、そこも支持されたことで、最終的に当選することができました。

改革は豪華な椅子を変えることから始まった

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