2018.1.26 (Fri)

元気な企業はどこが違う?成功企業の戦略とは(第52回)

機会損失をYouTubeで回避!別府温泉のユニーク戦略

posted by 大福 汁粉/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

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 温泉地として広く知られている大分県の別府温泉は、1930年代から外国人の訪日観光客に取り組んでいました。それを本格化させたのは、2000年に国際交流都市宣言を行い、留学生の受け入れに力を入れたことです。別府温泉の魅力を情報発信するなどが、訪日観光の数を増やすことにつながりました。また同時期にはイベントなどのプロモーションを行うことで、国内観光客の増加にも成功します。

 しかし2016年4月に発生した熊本地震により、同年のゴールデンウィークは風評から観光客が減少します。その風評を払拭すべく、震災から2カ月後にユニークなプロモーション映像をテレビCMやYouTubeで公開します。それが話題となり風評を払拭した後も、別府温泉は映像を活用したプロモーションを展開し、ユニークというブランドイメージを確立しました。震災の風評という深刻な問題に対して、別府温泉はなぜ「ユニーク」というプロモーション戦略を選択したのでしょうか。

バブル崩壊後から訪日観光を強化

 別府温泉は、明治時代から遊覧バスを運行するなど湯治だけでなく、レジャーも備えた温泉郷として整備されてきました。第二次世界大戦前には、近隣の阿蘇、雲仙、長崎と別府温泉を結んだ観光ルートで、訪日観光客を取り込もうという構想が練られるなど、早くから海外への意識を持った地域だったのです。

 戦後の別府温泉では、1950~60年代には、高度経済成長や、国内旅行の人気が高まったことにより、宿泊施設やレジャー施設などの建設が行われ、さらに発展を遂げます。

 しかし1970年代の石油ショックからバブル景気の崩壊までの間には、海外旅行が一般に浸透したことや、スキーに代表されるような季節ごとのレジャーとリゾート地が誕生したことで、別府温泉の観光客数は右肩下がりとなります。

 観光客の減少のピークとなったバブル崩壊後に、別府温泉は再び訪日観光に力を入れ始めます。アジア諸国と九州の首長が交流を行う会合を定期的に行ない、2000年には国際交流都市宣言をします。同時に立命館アジア太平洋大学を誘致して、留学生の増加を図りました。

 その留学生が別府温泉の良さを知ると、インターネットなどで情報発信を始めます。なかには、近隣の港に寄港したクルーズ船乗客の案内・通訳を務めるときにアピールする人もいました。そして別府温泉の観光産業に就職する留学生もあらわれ、訪日観光への体制が整ってゆきます。

 別府市が毎年調査している「観光動態要覧」によると、訪日観光強化やプロモーションによって、2010年代は外国人観光客が増加します。2015年には前年比30.2%の増加となったほどです。

 訪日観光強化と同時に、日本国内にも別府温泉の情報を発信するイベントを2000年代後半から開催します。まちおこしとして始まった現代芸術をテーマにしたイベントや、アニメキャラクターとコラボするなどの話題作りを行ないます。そして、別府温泉の名所や名湯を知ってもらうための、参加体験型イベントの別府八湯温泉泊覧会(通称オンパク)を2011年から毎年開催するなどのプロモーション活動を行ないました。2015年には全観光客数が前年比7.7%の増加となります。

熊本地震による風評を一変させた映像戦略

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大福 汁粉/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

大福 汁粉/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

塾講師、マーケ系情報コンサル等を経てフリーライターへ。企業のオウンドメディア、英語学習サイト、ニュースサイトを中心に執筆している。

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