2017.12.22 (Fri)

元気な企業はどこが違う?成功企業の戦略とは(第48回)

価格競争の泥沼から脱したメニコンの秘策

posted by 高田 麗子

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 国内大手のコンタクトレンズメーカー・メニコンは、戦後間もない1951年に創始者である田中恭一氏(現会長)が独学による研究で、日本初の角膜コンタクトレンズの実用化に成功したことがきっかけで創立した企業です。社名の由来は、「目に、コンタクトレンズ」からきています。

 コンタクトレンズの実用化に成功すると、1957年にメニコンの前身である日本コンタクトレンズを設立し、コンタクトレンズと用品を製造するメーカーとして成長してきました。

 ところが1990年代後半に、新しく参入してきた外資系メーカーの使い捨てコンタクトレンズが台頭し、同社は経営危機に直面します。市場は外資勢が仕掛けた価格戦争で疲弊。同社もこれに引き込まれ、業績が下降しました。

 この価格戦争という泥沼から「会員制システム」という施策によって、V字回復を果たしたのです。そして同社は2015年6月に東証1部と名証1部に上場を果たすまでになり、2017年決算では720億円の売り上げを計上しています。同社と日本のコンタクトレンズ市場が、この20年間でどのような変化を遂げてきたのかを紹介します。

外資の使い捨てと価格戦争により市場が激変

 メニコンはコンタクトレンズの実用化以来、日本メーカーのパイオニアとして業績を伸ばしていましたが、1990年代後半、外資系メーカーの使い捨てソフトコンタクトレンズが日本市場に登場したことをきっかけに、状況が急変します。

 使い捨てが登場する以前、同社の主製品はハードコンタクトレンズであり、使い捨てという発想がそもそもありませんでした。そして、コンタクトレンズは医療機器であり、取り扱いを適切に行うことで安全性が確保できると販売店と利用者へ訴えていました。

 ジョンソン・エンド・ジョンソン、クーパービジョン、アルコン、ボシュロムなどの外資が使い捨てソフトレンズを登場させると、日本市場でのシェアを拡大するだけでなく、コンタクトレンズの取り扱いや安全性に関する販売店・利用者の意識も大きく変えてしまったのです。

 当時の日本経済はデフレスパイラルにより、さまざまな商品で価格破壊が起きていました。コンタクトレンズ市場では、外資が使い捨てとともに価格破壊も仕掛けてきたのです。

ビジネスモデルを差別化した逆転の発想

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高田 麗子

高田 麗子

千葉大学卒業後、日系企業で国際営業を経てMBA修士号を習得。現在はフリーライターとしてビジネス・語学の分野を中心に幅広く執筆活動中。

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